コロナ禍中、日本に入国する流れ「飛行機への搭乗〜到着」
さらに日本への帰国についての様子をお伝えしていきます😁
今回は飛行機に実際搭乗したときの様子をお知らせします。
タルトゥからタリンへ
まず私たちはエストニアのタルトゥからバスで2時間半かけてタリンまで行きました。
バスはコロナ渦の影響なのか公式サイトからの購入だと片道大人5ユーロと破格の安さでビックリしました。子供は就学児が割引かと思いきや、5ユーロというセール価格が1番安いので逆に就学児1名としてしまうと通常価格に切り替わってしまい高い金額になってしまうということで、セールの大人料金のままで選択しないといけないのでアタフタ(笑)
未就学児は無料で1席づつ確保でき選択できます。
エストニア人ってなんでもギリギリにするので
バスチケットの購入も5日前とかでしたが、難なく全員分を買えました。
当日は10時タルトゥ出発ー12時半タリン空港到着。
この時はコロナの規制も緩くなっていてバスの中でもマスク使用は任意でした。
タリン空港のバス停は空港建物の前ではなくて、路面電車の駅がある横の部分に到着します。
日本の地方空港ぐらいのコンパクトさなのでバスが建物の横に到着とはいえ歩く距離も短くすぐにチェックインロビーへ着きます。
本来ならエストニアのタルトゥーヘルシンキ間の定期便が運行していたのですが、コロナ禍で全て運休です。その便があればタルトゥからタリンへの移動も無くてとても楽なのですが残念。早くコロナが終息して定期便が復活しますように😂
タリンからヘルシンキへ
チェックインは早めに並んだため最初の方でした。パスポートと陰性証明書(日本行きなので確認される)を見せて搭乗券を発行してもらいました。
他の国に行く人は陰性証明書、ワクチンパスポート関係はスマホの画面上で見せるだけなので余計な紙が無くて羨ましい(笑)
私は家族5人分のパスポートと全ての書類をバサバサ持っていなきゃならないのでそれだけで大変でした😅
無事にセキュリティチェックも終えて、出発ロビーにて待ちます。
タリン空港には大きな子供の遊ぶスペースがあるのでいつも利用させてもらいます。
お昼を食べながらゆっくり搭乗までを過ごしました。このときエストニアから日本に戻るという家族数組と一緒になり、少しお話したりで楽しかったです。
あっという間に搭乗時刻になり飛行機に乗り込みました。EU内路線の小型機なのでほぼ満席でした。
シートベルトをしてワクワクドキドキしていましたがなかなか出発せず。どうやらGPSの不具合とかで出発が数分間遅れました。やっと無事に出発し30分という短さでフィンランドのヘルシンキ空港へ到着。
EU内乗り継ぎ路線ロビーには思ったより結構人がいました。人の流れに乗ってEUから出国のためのパスポートチェックへ。
無事に出国し国際線ロビーへと移動しました。
ところが一変して国際線エリアは免税店がほとんど閉まっていて全然人がいない。😬いつもより暗くてなんとなく怖い雰囲気の中をしばらく進みました。長〜い通路をゆっくりあるいてやっと日本やアメリカに行く路線の待機ロビーが視界に入ってくると、だんだん人も増えてそれだけで安心感がありました。
フィンエアーは見た感じ必要最低限のスタッフだけでコンパクトに運営している感じでしたが、JALは日本人スタッフが案内のためにたくさん立っていて、日本人には本当に安心だな〜という印象でした。
ちなみに同時刻に出発のJALは羽田着、フィンエアーは成田着なので利用しやすい方を選ぶのがベストかな〜と。
フィンエアーの出発ロビーにはオリンピックの選手も数人いましたが、通常の搭乗者数に比べると待っている人が圧倒的に少なく見えました。
搭乗が始まる15分前には陰性証明書を持っているかのチェックがありました。
フィンエアースタッフに「子供の分は一人分しか無いのですか?」と聞かれました。恐らく、マニュアルでは全員が持っているかチェックする。となっているのかなと思います。
私達は「直接日本の政府に質問して未就学児は陰性証明書はいらないと回答があった」と言ったのですが、スタッフは心配だったようでパソコンの個別データに何かメモしていたみたいです。
他の人も陰性証明書に不備があるとかいろいろ問題があった様ですが、その場にいる全員は搭乗拒否にもならず普通に乗り込むことができました。
(書類が不備だとかいろいろ問題があると飛行機に乗せてもらえないとかいろいろ怖いウワサもあったので一応心配だった😂)
ヘルシンキから成田へいよいよ出発
飛行機に乗ってビックリ!人の少なさが一目瞭然でした。全てのクラスがガラガラで本当に航空会社が気の毒になりました。
しかし搭乗員さんのサービスもいつもどおりでガラガラだしマスクも必要だけどそれ以外はそんなにいつもと変わらないフライトだな〜という印象でした。
ヘルシンキから日本へは9時間ぐらいのフライトです。機内食の時間を考えると仮眠時間は限られます。今回はいつもと勝手が違うコロナの手続きが到着してから待っているので、飛行機でなるべく寝てもらおうと必死でした。
子供たちも素直に従ってくれて5時間くらいは寝てくれたので本当に良かったです。
そして無事に7月9日出発して9時間後の日本時間の10日午前9時に到着しました。
つづく~
コロナ渦中、日本に帰省する流れ「航空券購入とコロナ検査」
前回同様、海外から日本に帰省するまでの様子をお伝えしていきます!
航空券の購入
エストニアからの帰省だと直行便がないので、必ず日本との直行便を運営している航空会社を使って最低でも1回乗り継ぎをします。
通常だとバリエーションも豊富で、コペンハーゲンやドイツ、トルコ、ポーランド、フィンランド、ロシアなどいろいろな国を経由しての帰国ができます。
普段ならマイルや価格などの状況で判断して航空会社を選ぶのですが、現在のこのコロナ渦では1番近くて1番安心な路線を選ぶのがベストになってきます。
そして航空会社はフィンランド航空と日本航空のどちらかになります。羽田着か成田着かでも変わってきます。
私たちは子供含め5人なので安ければ安いほどありがたいので、フィンランド航空の成田着にしました。
(日本人なら大抵は日本航空を選ぶんですが😂)
今、各航空会社🛫はコロナ渦中でフライト状況が不安定なこともあり、ウイルス陽性者は突然フライトキャンセルになるなどの状況も有り得る事を考慮してチケット予約の変更やキャンセルが無料でいつでも行えるという条件を付けて航空券販売しています。(対象期間や区間は変わったりするので要注意)
この予約の変更やキャンセルは通常だとオプションで有料になるので、今は逆にお得な気持ちになれます。😁
私たちは7月9日出発の二週間くらい前というギリギリな時に航空券を購入しましたが、金額は通常なら繁忙期価格の期間なはずですが、平常時と同じか、むしろ少し安かったような気がします。
(もっとお得感を感じれるのは実際に搭乗してから...)
コロナ検査陰性証明書の取得まで
航空券購入後に、前々から気にはなってたコロナ検査の陰性証明書についてもやっと考えはじめました。😂
説明書を読むと「入国者全員が証明書必要」と書いてありますがどこにも対象年齢は書いてありません。しかしエストニアやヨーロッパ全体は基本的には子供は検査をしないのが当たり前です。(病院や学校に求められたり、任意でするケースもありますが)
こちらは5人も検査するとなると検査代だけで大変だな〜と考えた私(笑)
即座にエストニアの大使館へ連絡してみましたが
「明確な決まりがないので厚生労働省へ自分で問い合わせてください」と言われ、少しイラっと🏢
厚生労働省のホームページを見ても問い合わせ先は☎電話番号しか書いてないので
日本の家族に電話してもらったけど混んでいて全然繋がらず。
それと並行して私は厚生労働省のホームページで確認してみていろいろ探しましたが、コロナ関係の質問受付の場所がはっきり提示してないので困りました。とりあえずホームページへの意見を送るための「国民の皆様の声」という問い合わせフォームでいいのかな〜?と半信半疑ながらメールを送信。
送った内容は「現在日本へ家族と一次帰国を考えています。大使館へ陰性証明書が必要な年齢の決まりがあるか問い合わせましたが、明確な決まりが無いとおっしゃっていて厚生労働省に問い合わせてくださいと言われました....」のような感じでした。
日本では電話繋がらないし、メールも送ったけど問い合わせ先が合ってるか謎という困った状況でしたが、三日後くらいにメールが返信されて来ました!
厚生労働省検疫所業務管理室っていう長い名前の部署から。
「多数の国において、未就学の子供において検査を実施していないことを勘案し、
本邦では、概ね6歳未満のお子様であって、保護者の方が有効な陰性証明書を所持している場合は
お子様が陰性証明書を所持していなくてもよいものとしています。」
と返事がありました。
6歳未満っていうのは6歳以下とちがい、6歳を含まないのですが、概ねというのは大体とかアバウトさがある意味を持っていると受け取った私。
6歳の息子は幼稚園児で来期も幼稚園通いなので未就学児だから陰性証明書は必要ないと判断し、
エストニアの民間検査会社に私と旦那と小学生の娘の3人分の検査を予約しました。
入国時が7月10日午前中になるので(日本時間)、検査は7日の14時頃(エストニア時間)。
陰性証明書は日本様式で必要なことも事前に問い合わせて、検査時に持っていくことに。
コロナ検査の様子
いろんな意味でツイてる私たち(勝手に言う(笑))は検査の5日前くらいに鼻咽頭ぬぐい液での検査でもよくなったので娘はこの方法で検査できました
検査会場は時間予約者以外の人が数人が事務所外に並んでいて、私たちは予約もあったのですぐにオフィスへ。陰性証明書の用紙とパスポートを渡して、隣の検査室へ3人で移動。部屋には防護服を着た3人の検査員が。
一人づつ処置椅子に座って旦那と私は鼻の奥グリグリ、娘は一口分くらいの生理食塩水を口に含みガラガラとうがいしてペッと容器出しました。
その間検査員は一人だけ動いて、残り二人は椅子で眺めてるだけという公開罰ゲーム的でした(笑)
鼻の奥グリグリ検査は私はスゴイ痛かったです。両鼻の穴で長くグリグリする😭
旦那は気持ち悪いけど全然痛くなかったと。鼻の形状なのかな〜
娘は防護服の職員がたくさん居るその雰囲気にビビってマジ怖かった〜と言ってました。検査はウガイなので楽勝だったと。
全体で15分くらいであっという間の検査でした。
その7日深夜にはメールで結果の通知があり、全員陰性で、「やったー日本行ける!」と喜びました😁
次の日の午前中に陰性証明書を受け取りにいき準備万端!
陰性証明書と誓約書の2つの必要書類が揃いました。
この時点で必要な3つのアプリもインストールし、質問票への回答したあとのQRコードも保存(これは子供の分も必要だったので空港で追加作成)しました。
厚生労働省のホームページ
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00209.html
提出書類は最新の様式じゃないとダメらしいのでプリントはギリギリのほうが良さそうです。
以上出発前の航空券購入とコロナ検査の様子でした。
つづく
コロナ渦中、日本に帰省する流れ「外国人のビザ作成」
エストニアの長い長い夏休みは6月初めに始まりました。
バレエなどの習い事も全て休暇になるので、子供たちはみんなやる事なくて暇を持て余すのです。
小学生以上は全て休みで、幼稚園は希望者が通園できます。
子供3人賑やかで毎日楽しいんですけどね〜。
せっかくの夏休みだしな〜何かしたいな〜と思っていたのですが
旦那氏が日本に行きたいオーラを発動。
初春に帰省しようと思ってましたが叶わなかったので、夏に行こう!と5月くらいからぼんやり考えはじめました。
最初は子供たちのパスポート作りからスタート。
↓パスポート作成についてはこちらの記事です。
https://rikueesti.hatenablog.com/entry/2021/04/23/205419
以前に日本入国には外国人はビザを作らないといけないと情報があり、まだそれが続いてるという話😂
ビザ作成、これこそ1番やりたくなかったのに(笑)
ビザを作るには「招へい理由書」なるものが必要で、日本からこの外国人を日本に呼びたいでーすって言う書類を日本から送ってもらわないといけません。
日本に住所があって、日本に居る人が書かないといけないという面倒さ。
私たちの場合、滞在先に住所がある私の姉にこの書類を書いてもらいました。
日本に呼びたい理由を書く欄があって、それがビジネスだと仕事を理由として書くので簡単に書けそうですが、日本人の配偶者等ということで理由を書くのは逆に幅広くて難しい。
「孫を見たいから」
「親が怪我したので看病して欲しい」
など理由っぽくなるやつならなんでも書けちゃうんですが
逆にこんな内容で良いの?と不安になります。
今回は「実家が引っ越しのため妹家族に来てもらいたい」みたいな内容だったはずです。(書いた内容忘れた(笑))
そして一緒に戸籍も送ってもらいました。
今はコロナ禍でEMS航空便(3日とかで到着する速い航空便)が停止中で使えないそうで、普通の航空郵便で一週間で届きました。
大使館からは今は時間がかかるので3週間ぐらい作成に必要ですと聞いていたので、書類が届い翌週には申請しにいきました。
この時も子供のパスポート作った時の様に申請書などの書類を印刷するのに、街のオンライン印刷サービスを利用しプリントして作成。
申請は申請者本人が行く必要があり、旦那がバスで大使館まで行ってきました。
その際にエストニアのパスポートを没収されて、申請を受領したことの書類を頂きました。
その後、3週間経ちました。。。あと一週間で出発なんだけどな〜
あれ?ビザの連絡来ないな〜と思い、メールで問い合わせしたら確認して明日連絡しますと言われて、待つこと数日。
ではなくて4時間後(お昼休憩挟んだ模様)に明日か明後日でも取りに来られますが、いつ頃来られますか?とメールが返って来ました。
すぐに受け取れるって、絶対連絡忘れてたでしょ〜!?またちょっとイラっとさせられました(笑)
翌日すぐにバスで受け取りに行き、無事に日本のビザ頂けました。
受け取りの時、料金かかると思ってたらなんと無料でした。普通の状況で短期でのビザがいらない国はお金かからないのかな〜?と思います。
ビザがおりたので、安心して日本に行ける!と喜んだ旦那でござんした。
ちなみに航空券を買ったのは出発の二週間前くらいだったので、いろいろとギリギリの気分でした。
6月は学校や習い事の修了パーティ、旦那と息子の誕生日、友達たちの誕生日、夏至祭などなどイベント盛り沢山で更に日本行きの準備とあっという間に過ぎたのでした〜🌬
つづく
続-戦勝記念日と夏至祭 in Estonia
前回に引き続き、6月23日、24日の夏イベントについてお送りします。
今年は私がエストニアに移り住んでから4回目のイベントですが、毎年本当に天候様々でした。
確か一昨日は雨☔がしばらく降っていたり、昨年は晴れてましたが長袖長ズボンで丁度いい気温。
しかし今年は本当に連日暑かったので、どこかでにわか雨とか来るだろうなと思っていました。
そしたら見事に的中。しばらく水遊びしたり湖畔で過ごしてたんですがお義兄ちゃんからは電話が来て「もうすぐで嵐がくるよ!雲が迫っていってる!」と情報が。
しばらくして黒い雲とゴロゴロ音が😂
すぐにサーっと雨が降り出してみんなでサウナへと避難。なんかどんどん激しい音になってきたな〜と思ったら、カンカンカン...と固形物の落ちる音が。しかも凄まじいゴォォォ〜っと言う音も聞こえてきてサウナ内に居たみんなで顔を見合わせてビビってました。
ちょっと優しい音になってから外を見に行ったら
まだ小さいヒョウが降ってました。
ヒョウと突風で凄まじかったので大きめの浮き輪が全部湖に流されてしまいました。
しかしそれより友人たちのテントどうなっただろう😅
そして確認しにいってビックリ!
なんと古い中が腐っていたどんぐりの木が倒れてテントに命中していました。
命中とはよく言ったものですね〜
命の中。
鳥肌立つ光景でみんな口をあんぐりでした😫
幸い誰もテントに居なかったので被害に遭わず、
テントと小物が少し壊れたくらいですみました。
本当に誰もケガしなくてよかったです。
こういう時に命が助かる運っていうのは本当に凄いと思います。
ちなみに叔父さんの古い壊れているトラクターの屋根にも落ちて屋根がひしゃげてました。
本当にコワイですね〜
自然災害本当に気をつけましょう。
ということで天気も取り直したので気を取り直してパーティーを進めました。
たくさんのお料理とお酒でみんなも絶好調に。
今年も無事に95歳になる婆ちゃんも参加して
親戚友人一同楽しく過ごせました。
夕暮れには(夕暮れといっても22時近い)
湖面にモヤがかかったような景色になって幻想的で美しい風景を見ることができました。
まさに1秒1秒が奇跡なんだよな〜と
いろんなことから学んだ気持ちになった今年の夏至祭ヤーニパエブでした。
来年も無事みんなで開催できますように〜
夏の大イベントー戦勝記念日と夏至祭ー
熱波到来中!北欧なのに連日30℃こえちゃってます😂
エストニア人のお義母さんに暖かい国の人なのに疲れてそうね。と心配されちゃったりして(笑)
さて昨日と一昨日はエストニア🇪🇪で一番熱い祝日、戦勝記念日と夏至祭でした!
今年はコロナ禍でロックダウンになったり、いろいろイベントが中止になったりで
エストニア人たちは本当にこの日を待ち望んでいたことでしょう😁
祝日が日本に比べると少ないのですが
6月23日、24日は珍しい祝日の連休。
23日が戦勝記念日 - võidupüha
24日が夏至祭 - Jaanipäev
22日も祝日に向けて半日の仕事だったりでみんな浮足立っっている様子です。買い物行ったときもいつも無愛想(良い意味でクール)な店員さんが笑顔を見せながら話かけてきたりして、普段は味わえないような空気感を味わえます(笑)
だいたいこのイベントは家族で過ごすのが定番のためタリンから本家のある他の街への帰省ラッシュが22日午後あたりからスタートします。
コロナ禍でパーティーをいろいろ自粛してきたことでこの夏至祭への期待感からか、スーパーの陳列棚はパンパンに並んでいました😆
BBQ用の肉が大量にならんでいる中でちょっと意外な味付け肉がオススメです😁
Mustikaってエストニア語でブルーベリーなんですが、それを使ったタレに漬けられているんです。日本人ならちょっとエッ?!って思いそうですが、本当に意外や意外で甘くて美味しいんです☆
ぜひエストニアに来た際に(笑)ためしてみてくださーい!
そしてそして買い物したらいざ向かった先は
毎年恒例のエストニアのタルトゥから更に南のオテパーにある叔父さんのサマーハウス。
叔父さんのおじいさんが昔住んでた場所で、このサマーハウスを含め広大な森を受け継いでいた叔父さんのお父さん(旦那のお祖父さん)が亡くなった時に息子に当たる叔父さん三兄弟がそれぞれに分けて森やサマーハウスを受け継ぎました。
この辺になるともうややこしや~なんですが(笑)
そんな歴史ある地に家族みんなが毎年集います😁
今年はそして暑い!だから到着したらずーっと湖水浴してました😆
この後思わぬハプニングがあることも知らずに
つづく...
築百年古民家リフォーム〜キッチン編〜
前回のトイレリフォームに引続きまして第2のリフォームはキッチンです。
以前のキッチンは水道などの水回りが今のキッチンと違う場所にあり、暗くて狭い少し不便な間取りでした。
床はだいぶ朽ちて、土足オッケー🙆というか土足じゃないと足が汚くなってしまう感じ。
洗濯機置き場もキッチンにあり、棚もだいぶ古くて扉が壊れていたり。
作業スペースもほとんど無いのでテーブルでの作業だったりと不便すぎる感じでした。
マイナスみたいなことばっかり言って申し訳ないですが、本当に改善しないと衛生的に無理と思ってしまう日本人な私でした。😂
そこで、キッチン一部屋を丸ごとリフォームしました。😃
その全貌をご紹介しまーす!
まずはじめに床を剥がして上下水管を新たにつなぎ将来の増築のためにも、違う配管を埋めておきます。これがリフォームのつらいところで、重機を使えないから掘るのが大変でした。
日本の様に床下に空間があると、床下から寒い空気がきてしまうし凍ってしまうのでエストニアの古い家は床を剥ぐとすぐに砂の地面になります。
基本的には軸組工法ではなく壁式工法が主流です。
この家は壁の中はログハウスになっています。
木だけの壁では断熱性能が弱いので、外壁も内壁も他の材料でカバーしてあるため、全然ログハウスぽくありません。
清潔感のある全部真っ白なキッチンが人気ですが、私は使い勝手と汚れの目立たなさ掃除のしやすさにこだわりました😁
そこで自分たちで内部のデザインや棚のデザインも考えました。
そんなキッチンリフォームの合間に他の作業もします。エストニアはスワンプの様な場所が多く、水はけがあまりよくありません。そこで家の周りと畑に余分な水がたまらないようにと排水管を地面に埋めました。メッシュ素材のパイプに地面からジワジワと水が入って、道路沿いの側溝まで流れる仕組みです。
玄関前にポーチ作成もしました。
というか旦那が勝手に作ってました(笑)
とりあえずこのサイズですが、そのうち家全体を石畳で囲いたいなと思ってまーす😁
そうこうしている間に床下が整いましたら、配筋をします。
そしてコンクリートを打設。義妹の旦那さんにも手伝ってもらって綺麗な真っ平らにしてもらいました。
乾いたら壁の作業に入ります。勿体なくて?面倒臭くて?二重三重に貼られていた壁紙を剥がします。ペロっと大きいピースが剥がれると気持ちいいんですよね〜壁紙剥がし😍
窓も三重ガラスの高断熱窓に交換しました。将来ドアになりそうなところは既存の窓の形を替えて縦長に、シンク側もちょうど良い大きさに変更して断熱性が低かった昔の窓と交換。
天井はあまり高くないのでLED照明を埋設。
壁や天井に石膏ボードを貼って下地処理を施して凹凸をなくしました。
旦那こだわりの無垢材を使用して裸足でも暖かい優しい床に。古い家っていろいろ斜めなので大変なんですよね〜
棚はお義父さんとお義父さんの友達との共同作業で作ってもらいました。引き出しの金具などもこだわってもらって、優しく閉まる扉たち。♥寸法も狂いなくバッチリ収まりました☆
カウンターボードにシンクやコンロの位置決めして穴をあけます。
合間に古いイスに塗装してみました。
造作棚もつけてもらってだんだんと整いました。
冷蔵庫はシャープという変な日本こだわり(笑)
コンロや食洗機、換気扇もつけてバッチリ。
こだわりのカウンターはオーク材を使って質感を良くしました。タイルは義妹の旦那さんに全部貼ってもらいましたが、本当に器用でキレイに素早く作業してもらいました。
だいたい出来上がったのでリサイクルショップで
激安のダイニングテーブル買ってきました。
ゆ~っくり確実に出来上がりました。
本当のところまだ未完成ですが(笑)
使っていくといろいろと他にアイデアが出てくるので、ちょいちょいこれからも変化しそうですが😁
以上、満足のキッチンになりました!
いろんな人に手伝ってもらいながら着実に進歩しています。自分たちだけでこんなにキレイに作れるなんて本当にエストニア人って器用なんです。
手伝ってくれる人に本当に感謝です。
リフォームはまだまだつづきます...
虹の橋〜日本からエストニア〜
あっという間に時間が過ぎて
最終投稿から1ヶ月経ってしまいました😂
5月は本当に忙しかった😅
そして余裕が無かった。
4月30日に福島の地で大変お世話になった恩師が急に倒れ、そこから回復を祈りつつ連絡を待ちつつ過ごしていました。
そして5月12日、その恩師が天国に旅立って行きました。
インターネットがある昨今、日本とエストニアという距離がありながら、ほぼリアルタイムで情報を知ることができてよかったです。
その恩師ハグちゃんは生前、本当に幅広く活動していました。東日本大震災後から復興支援の団体を作ったり、バーの店主だったのが急に床屋さんチェーンの代表になったり、その一店舗をハンバーガー🍔屋さんに替えてしまったり、コロナが始まったら子供食堂を始めたり、そのほかにも本当にいろいろ。
この写真は9年前に旦那がエストニアに帰る時に、車🚗で福島から成田まで急遽送ってくれた時の。本当に急だったのでその突発的な行動力が本当に凄いと思った。
本当にどこで休んでいるんですか?っていうくらい動きまわってた印象です。海外から見ていても伝わる多忙さ。そんな忙しい、身を削るような思いで人のために活動をし続けて、たくさんの幸せを周りに配りまくっていたハグちゃん。
そのハグちゃんの葬儀はなんとインターネット上で生中継されました。
エストニアからその様子をずっと見ていたし、代理で両親が葬儀場に足を運んでくれて葬儀場からTV電話してくれたので棺の中に眠るハグちゃんを少し見ることもできました。
今回ばかりは本当にインターネットさんに大感謝でした!!
エストニアのネット環境の良さにもビックリでポータブルwifiで中継を見ていたんですが、音声も画面もほとんど乱れがなくて、やっぱりITの国だな〜と感心させられました。😁
確か通夜の日?!時差があるので葬儀の日?!に
なんと奇跡ともいうべきことがおきました。
福島や東京、エストニアに虹🌈がでたんです。
虹🌈なんてただの科学現象だよ!と言われればそうなんですけどね。
でもちょうど葬儀の日に虹がかかるって、神秘的じゃないですか😁
しかもその虹🌈はエストニアでは本当にここ数年は見たことが無いような素晴らしい虹で端から端まで本当にくっきりで、しかも二重。
両親がつないでくれてたテレビ電話中、ハグちゃんの奥さんと娘さんに「この景色、エストニアをハグちゃんに見てもらいたかったです。」と言って画面で外を映して見せました。その日の夕方に出た虹。
虹の橋を渡ってハグちゃんは見に来てくれたんだ。
本当に感動しました。
ちょうどおばあちゃん家に居たので、だだっ広い草原からは半円の綺麗な形で見えました。
まるでばあちゃん家の上に虹がかかっているみたいなんですよね〜
広角レンズが無かったのでスマホのパノラマモードでやっと全体を捉えられました。
こういう奇跡なら信じても良いな〜
そんな5月前半でした。😁