独立記念日
1981年2月24日に独立宣言をしてから103回目の記念日。1940年から再びソ連やドイツに占領されたりもしますが、1981年が正式に国として独立したことで認知されています。
独立を宣言するまではエストニア人というアイデンティティは持ちながらもドイツやスウェーデンなどの強国に支配されていました。
やっと国として確立できたのがこの日。
今年も国全体で祝われました。
本来なら大きな式典やパレードが開かれるのですがコロナ渦のため自粛。
この時期はスーパーなどの店頭にエストニア国旗やグッズが店頭に並びます。
それで24日は祝日で祝う日なので23日は仕事が早く終わったり、スーパーやお店も早めに閉まったりします。
私はいつも思うのが、どうせ盛大に祝いすぎてみんな二日酔いになるんだから23日を早く切り上げるのではなく25日の仕事を少なくすればにいいのに!と。(笑)
エストニア人とロシア人の酒飲み具合ったらありゃしない。絶対次の日仕事遅れるパターンなんですよ本当に。
そんな余談はさておき
今回も去年と同様、お隣さん家でイベントを執り行いました。
朝は国旗掲揚。スピーカーで国歌を流しながら本格的に。子供たちはちょっとまだよくわかってない感じですが。(笑)
ちなみに四角の国旗をあげて良い日は決められた日だけなので、普段使いにこの写真のような長細い三角の旗をなびかせています。
違うお隣さんはこの日のために雪だるまと国旗というスタイルで作成。やっぱり外国の雪だるまって3段だな〜と思いつつ近くまで行って鑑賞してきました。
そして夜は祝い酒。
黒パンにKiluキルというニシン科の和名でヨーロピアンスプラットと呼ばれる魚をのせたサンドイッチを食べるのが慣わしです。
塩漬けやオイル漬けされたもので臭みもなくて食べやすい魚さんです。
ビールやウォッカなどを一緒に飲みます。
この日はVana Tallinnワナタリンというリキュールをショットで。お隣さんが大好きなお酒でだいたいこれ(笑)
アルコール40度で甘くて美味しい。
これをショットグラスに注いだら、相手の目をしっかり見て乾杯。これがいつも恥ずかしい。
そんな感じで家で独立を祝いながらパーティをするのが定番となっています。
余談ですが、2月24日は私の母の誕生日。いつもエストニアとお母さんおめでとう!と乾杯します。そういうところからもエストニアとの縁を感じたりして、住むべくして住んでるような気がしますね。
以上、エストニアの大事な大事な独立記念日についてお伝えしました。